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最高裁判所第二小法廷 昭和50年(あ)1924号 判決 1976年4月30日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人を懲役三年八月に処する。

第一審における未決勾留日数中一五〇日を右の刑に算入する。

押収の供託書写三通(最高裁昭和五一年押第一号の七、同号の一〇のうち旭川検察庁昭和四九年領第九二号符一号の一及び同押第一号の一一)及び供託書一通(同押第一号の一七)はこれを没収する。

理由

検察官の上告趣意のうち、判例違反の主張について

本件公訴事実のうち、所論指摘の有印公文書偽造、同行使の事実の要旨は、被告人は、供託金の供託を証明する文書として行使する目的をもつて、昭和四八年七月二六日ころから同年一二月二八日ころまでの間、五回にわたり、被告人方行政書士事務所等において、旭川地方法務局供託官阿部英雄作成名義の真正な供託金受領証から切り取つた供託官の記名印及び公印押捺部分を、虚偽の供託事実を記入した供託書用紙の下方に接続させてこれを電子複写機で複写する方法により、右供託官の作成名義を冒用し、あたかも真正な供託金受領証の写であるかのような外観を呈する写真コピー五通を作成偽造したうえ、そのころ、四回にわたり、北海道上川支庁建設指導課建築係ほか三か所において、同係員ほか三名に対し、右供託金受領証の写真コピー五通をそれぞれ真正に成立したもののように装つて提出または交付行使した、というものである。

原判決は、公訴事実に相応する事実は証拠上これを認めることができるが、被告人の作成した供託金受領証の写真コピーは、一見して複写機で複写した写であることが明らかであるから、原本そのものの作成名義人の意識内容を直接表示するものではありえず、また供託金受領証は、その写を作成すること自体が禁止、制限されているわけではないうえ、写の作成権限を有する者を公務所または公務員に限定すべき根拠もないから、結局、本件写真コピーは、被告人がほしいままに作成した内容虚偽の私文書と解しえても、刑法所定の公文書には該当しないとの判断を示し、これと同旨の理由で被告人の本件行為は刑法一五五条一項、一五八条一項の罪を構成しないとした第一審判決を正当として是認している。

所論は、原判決は、本件写真コピーの公文書性を否定した点において、名古屋高等裁判所昭和四八年(う)第二二九号同年一一月二七日判決(高刑集二六巻五号五六八頁)と相反する判断をしているというのである。

所論引用の右判例は、エックス線技師の資格を偽るために行使する目的をもつて、大阪府知事左藤義詮作成名義の他人の真正な診療エックス線技師免許証の写(写真版)に、ほしいままに自己の本籍地、氏名等を改ざん記載し、これを写真撮影したうえ、正規の免許証とほぼ同じ大きさに引き伸して免許証の写真を作成し、これを就職申込の際に資格証明の資料として提出した事案について、右免許証の写自体は写真であるが、「単なる写本の類ではなく、作成名義人の確定的な意識内容を記載した刑法にいわゆる文書に該る」と解すべきであるとし、刑法一五五条三項、一五八条一項の罪を認めたものである。所論引用の判例と本件とは、偽造、行使の客体とされている文書が、いずれも、公文書の原本ではなく、これを機械的方法により複写した文書であるとの点において事案を同じくするのであるから、かかる公文書の複写文書の公文書性を否定した原判決は、これを肯定した所論引用の判例と相反する判断をしたものというべきである。

おもうに、公文書偽造罪は、公文書に対する公共的信用を保護法益とし、公文書が証明手段としてもつ社会的機能を保護し、社会生活の安定を図ろうとするものであるから、公文書偽造罪の客体となる文書は、これを原本たる公文書そのものに限る根拠はなく、たとえ原本の写であつても、原本と同一の意識内容を保有し、証明文書としてこれと同様の社会的機能と信用性を有するものと認められる限り、これに含まれるものと解するのが相当である。すなわち、手書きの写のように、それ自体としては原本作成者の意識内容を直接に表示するものではなく、原本を正写した旨の写作成者の意識内容を保有するに過ぎず、原本と写との間に写作成者の意識が介在混入するおそれがあると認められるような写文書は、それ自体信用性に欠けるところがあつて、権限ある写作成者の認証があると認められない限り、原本である公文書と同様の証明文書としての社会的機能を有せず、公文書偽造罪の客体たる文書とはいいえないものであるが、写真機、複写機等を使用し、機械的方法により原本を複写した文書(以下「写真コピー」という。)は、写ではあるが、複写した者の意識が介在する余地のない、機械的に正確な複写版であつて、紙質等の点を除けば、その内容のみならず筆跡、形状にいたるまで、原本と全く同じく正確に再現されているという外観をもち、また、一般にそのようなものとして信頼されうるような性質のもの、換言すれば、これを見る者をして、同一内容の原本の存在を信用させるだけではなく、印章、署名を含む原本の内容についてまで、原本そのものに接した場合と同様に認識させる特質をもち、その作成者の意識内容でなく、原本作成者の意識内容が直接伝達保有されている文書とみうるようなものであるから、このような写真コピーは、そこに複写されている原本が右コピーどおりの内容、形状において存在していることにつき極めて強力を証明力をもちうるのであり、それゆえに、文書の写真コピーが実生活上原本に代わるべき証明文書として一般に通用し、原本と同程度の社会的機能と信用性を有するものとされている場合が多いのである。右のような公文書の写真コピーの性質とその社会的機能に照らすときは、右コピーは、文書本来の性質上写真コピーが原本と同様の機能と信用性を有しえない場合を除き、公文書偽造罪の客体たりうるものであつて、この場合においては、原本と同一の意識内容を保有する原本作成名義人作成名義の公文書と解すべきであり、また、右作成名義人の印章、署名の有無についても、写真コピーの上に印章、署名が複写されている以上、これを写真コピーの保有する意識内容の場合と別異に解する理由はないから、原本作成名義人の印章、署名のある文書として公文書偽造罪の客体たりうるものと認めるのが相当である。そして、原本の複写自体は一般に禁止されているところではないから、真正な公文書原本そのものをなんら格別の作為を加えることなく写真コピーの方法によつて複写することは原本の作成名義を冒用したことにはならず、したがつて公文書偽造罪を構成するものでないことは当然であるとしても、原本の作成名義を不正に使用し、原本と異なる意識内容を作出して写真コピーを作成するがごときことは、もとより原本作成名義人の許容するところではなく、また、そもそも公文書の原本のない場合に、公務所または公務員作成名義を一定の意識内容とともに写真コピーの上に現出させ、あたかもその作成名義人が作成した公文書の原本の写真コピーであるかのような文書を作成することについては、右写真コピーに作成名義人と表示された者の許諾のあり得ないことは当然であつて、行使の目的をもつてするこのような写真コピーの作成は、その意味において、公務所または公務員の作成名義を冒用して、本来公務所または公務員の作るべき公文書を偽造したものにあたるというべきである。

これを本件についてみると、本件写真コピーは、いずれも認証文言の記載はなく、また、その作成者も明示されていないものであるが、公務員である供託官がその職務上作成すべき同供託官の職名及び記名押印のある供託金受領証を電子複写機で原形どおり正確に複写した形式、外観を有する写真コピーであるところ、そのうちの二通は、宅地建物取引業者二五条に基づく宅地建物取引業者の営業保証金供託済届の添付資料として提出し異議なく受理されたものであり、また、その余の三通は、いずれも詐欺の犯行発覚を防ぐためその被害者に交付したものであるが、被交付者において、いずれもこれを原本と信じ或いは同一内容の原本の存在を信用して、これをそのまま受領したことが明らかであるから、本件写真コピーは、原本と同様の社会的機能と信用性を有する文書と解するのが相当である。してみると、本件写真コピーは、前記供託官作成名義の同供託官の印章、署名のある有印公文書に該当し、これらを前示の方法で作成行使した被告人の本件行為は、刑法一五五条一項、一五八条一項に該当するものというべきである。したがつて、本件写真コピーは公文書偽造罪の客体たる公文書に該当しないとして被告人の刑責を否定した第一審判決を是認した原判決は、法令の解釈適用を誤り、所論引用の判例と相反する判断をしたものといわなければならず、論旨は理由がある。

よつて、その余の検察官の上告趣意に対する判断を省略し、刑訴法四〇五条三号、四一〇条一項本文により、原判決及びこれと同趣旨に出た第一審判全部(右の罪にかかる公訴事実は第一審判決が有罪とした他の各公訴事実と併合罪の関係にあるものとして公訴提起されたものである。)を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。

第一審判決の認定した罪となるべき事実及び同判決中無罪部分の理由に公訴事実として記載された前記本件写真コピー偽造行使の事実(第一審第一回及び第二回公判調書中被告人の供述記載、被告人の検察官に対する昭和四九年二月二一日付供述調書、倉澤繁夫、芦野辰勇、松島幸夫の検察官に対する各供述調書、松島幸夫((二通))、阿部英雄((二通))、鈴木盛子の司法警察職員に対する各供述調書、旭川地方法務局長長沢忠雄作成の告発書、原審第二回公判調書中証人松島幸夫、同倉澤繁夫、同芦野辰勇、同鈴木盛子の各供述記載、押収の供託書写四通((最高裁昭和五一年押第一号の七、一〇、一一))、供託書一通((同押同号の一七))による。)に法令を適用すると、被告人の所為のうち第一審判示第一の各所為はいずれも刑法二五三条に、同第二ないし第四の各所為はいずれも同法二四六条一項に、前記本件写真コピー偽造の各所為はいずれも同法一五五条一項に、同行使の各所為はいずれも同法一五八条一項、一五五条一項に該当するところ、右のうち第一審判決別紙犯罪一覧表(五)の番号1及び2の偽造公文書の一括行使は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であり、公文書の各偽造とその各行使との間にはそれぞれ手段、結果の関係があるので、同法五四条一項前段、後段、一〇条によりこれらを一罪としてそれぞれ犯情の重い偽造公文書行使罪の刑で処断することとし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い偽造公文書行使罪のうち犯情の重い一括行使にかかる前記犯罪一覧表(五)の番号1及び2の罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役三年八月に処し、同法二一条により第一審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入することとし、押収の供託書写三通(最高裁昭和五一年押第一号の七、同号の一〇のうち旭川検察庁昭和四九年領第九二号符一号の一及び同押第一号の一一)は、前記犯罪一覧表(五)の番号1、2及び4の偽造公文書行使の犯罪行為を組成したもので、なんびとの所有をも許さないものであり、供託書一通(同押同号の一七)は、同表番号5の公文書偽造の犯罪行為の用に供せられたもので、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号及び二号、二項によりそれぞれこれを没収し、第一、二審及び当審の訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。

(吉田豊 岡原昌男 大塚喜一郎 本林譲)

検察官の上告趣意

原判決は、本件供託金受領証写真コピーの公文書性を否定し、有印公文書偽造・同行使罪の成立を否定した点において、名古屋高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、その判断が判決に影響を及ぼすことが明らかであるばかりでなく、刑法一五五条一項・一五八条一項の解釈を誤つたものであつて、その法令違反は判決に影響を及ぼすものであり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、最高裁判所の正当なる裁判を求めるため上告に及んだ次第である。

第一 一審判決の要旨

旭川地方裁判所は、本件公訴事実のうち

「被告人は、行使の目的をもつて、別紙犯罪一覧表記載のとおり、昭和四八年七月二六日ころから同年一二月二八日ころまでの間、五回にわたり、いずれも旭川市大町二条六丁目被告人方行政書士事務所において、ほしいままに旭川地方法務局供託官阿部英雄発行にかかる同供託官の記名・押印のある供託金受領証(供託者北海道観光開発株式会社)を利用し、右供託官の記名・押印部分をカミソリで切り離したうえ、予め用意してあつた所定の供託書(営業保証)用紙の「供託者の住所氏名印」欄、「供託金額」欄および「供託金受領年月日」欄などに、右一覧表記載のとおり、いずれも年月日を回転ゴム印で押印したほか他の各欄にはポールペンで記入し、そのころ同市一条通七丁目長崎屋百貨店一階に所在する有料コピーコーナーにおいて、これを右供託官の記名・押印部分と合せて複写機で複写し、もつて有印公文書である旭川地方法務局供託官阿部英雄作成名義の供託金受領証写真コピー五通を偽造したうえ、同年七月二六日ころから同年一二月二八日ころまでの間、四回にわたり同市六条通一〇丁目北海道上川支庁の建設指導課建築係ほか三か所において同係員ほか三名に対し、右供託金受領証写真コピー五通をそれぞれ真正に成立したもののように装つて提出行使したものである。」との有印公文書偽造・同行使の点については、本件写真コピーは、被告人自らの権限において単に内容虚偽の私文書を作成したにすぎないと解すべきものであるから、有印公文書偽造罪は成立せず、またその行使罪も成立しないとして、無罪を言渡した。

その無罪理由について、同裁判所は、次のように説示している。

「先ず、関係証拠によると、本件写は、前記のように別途正規に交付を受けた供託金受領証(所要事項を記入済みの供託書用紙の下方欄外に不動文字で「供託金の受領を証する」等の文言の記載がありこれに供託官の記名印等が押捺されている体裁のもの)のうち供託官の記名印・公印が押捺されている下方部分を切りとり、これを、所要事項を記入した供託書(営業保証)用紙の下方に合わせて貼りつけ一体としたうえ複写機にかけたものである(但し正確には、右の用紙等の素材を厚紙を用いた台紙上に貼付して複写機にかけている)。

しかして、右写の素材となつた原物には、紙片を貼り合せる等不正な小細工が施されており、その不正加工の痕跡は、素材の外観を一見しただけで明瞭に看取できるような態様・程度のものである。

一方、右素材を被写原本として作成された本件写においては、前記の不正加工の痕跡は全く姿を消し、写たる書面の外観自体は、不正加工など全く介在しなかつた正しい写としての形態を呈している。

また、原本の作成名義人である供託官の記名印・公印の形状は、写真コピーとしての性質上、そのままに現われてはいるが、印影自体ではなく、その複写された形状が存するものである。更に、本件写には、原本と相違ない旨の認証文言の記載も、写作成者を明示した記載も存在しない。

右のごとき性質・形状を有する本件写についての作成名義人を如何に解するかについては、見解が分れるところであるが、写真コピーの実際の作成者が作成名義人であると考えるべきである。

すなわち、本件写においては、原本作成名義人の表示は前記のように写の一内容として現われているにとどまり、これ以外には、とくに写の作成名義人として明示されたものは存在せず、加うるに、文書の写というものは、その写たる性質上当然に原本とは独立した別個の存在なのであるから、原本の作成名義人をもつて、そのまま写の作成名義人であると考えることはできない。また、写自体は、原本の存在を証明しようとする者が、その簡易軽便な方法として、一般に誰にでも自由に写を作成することができると考えられ、しかもこの写作成権限は、真正の原本と完全に内容的に一致する写を作成する限度でのみ原本作成名義人から許容されたという制限的内容のものではないと解されるから、写作成者の写作成権限を制限的に解する前提に立ち、そこから本件写の作成名義人をもつて原本の作成名義人であるとの結論を導こうとする見解にも賛成できないのである。

従つて、私人が作成した公文書の写に外ならない本件写は、その作成者である被告人自身を作成名義人とする私文書(写)である、と結論せざるを得ない。

第二 原判決の要旨

右の一審判決に対して、検察官から法令の解釈・適用の誤りを理由として控訴を申立てたが、札幌高等裁判所第三部は、昭和五〇年九月一八日「被告人が作成した本件写真コピー五通が有印公文書偽造・同行使罪の客体たる公文書に該当するかどうかの点については、当裁判所もまた原判決と同じく消極に解する。」として本件控訴を棄却した。

その理由とするところは、一審判決の無罪理由とその骨子において同一であるが、その理由につき次のとおり説示している。

「所論のように、宅地建物取引業者の営業保証金に関する供託済届の添付書類として供託金受領証の複写機による写真コピーが提出された場合には、北海道上川支庁では右コピーを原本と照合しないで受理する取扱いが本件発生時まで行われており、また同支庁に限らずその他の四府県においても、そうした写真コピーは原本と照合しないで受理される実情にあつたことが窺われる。こうした取扱い例にもみられるように、一般に複写機による写真コピーが、原本の筆跡・形状をあるがままに正確に写し出す特質をもつているため、ある場合においては、原本の存在を証明する文書としてそれ相応の社会的機能と効用を有するものであることは否定しがたいところである。しかしながら、他面、右認定の事実によれば、北海道庁が各支庁宛に発した前記通達では、宅地建物取引業者の営業保証金に関する供託済届の添付書類として供託金受領証の写が提出された場合には、その写が手書きによるものであれ、本件のような複写機による写真コピーであれ、必ずこれを原本と照合すべきものと指示しており、現に上川支庁においても本件以後は右通達の指示に従つて事務処理を行つており、また北海道以外の数県においても、添付書類として供託金受領証の写の提出を受けた場合にはそれが複写機による写真コピーであつてもこれを原本と照合のうえ受理する取扱いを励行しているのである。こうした明確に原本と写とを区別する取扱いは、原判決も指摘するように、写真コピーには、原本から容易に看取できる程度の不正加工の痕跡も出来上つた写真コピーの上では転写再現されえないという欠陥があることに由来するものというべく、建設業法関係の写真コピーを含め本件写真コピーが原本と同視しうる証明力ないし社会的機能と効用を有するものとして、原本に代わる文書であるとまでは断定しがたいことを如実に示すものというべきである。

また、およそ写真コピーはいかに正確に原本を複写したものであつても、その紙質・色調などの外観から一見して複写機により複写した写であることが明らかであり、何人もコピーはコピーとしか認識していないのが通常である。すなわち写真コピーは、たとえ写の認証文言を欠く場合でもその記載内容・形式・体裁からみて、そこに複写したところと同じ内容の記載された原本の存在を推認させ、その原本を正確に複写した旨の作成者の意識内容を保有する文書と解しうるとしても、もとより原本そのものの作成名義人の意識内容を直接表示するものではありえない。原本とは全く別個独立の書面なのである。

したがつて、本件写真コピーと原本との上記の差異に着目するとき、たやすく両者を同視しがたく、本件写真コピーが原本に代替する文書としての原本的性格ないし公信力まで有するものとはとうてい解しがたい。これに反する所論の(1)は採用しえない。

さらに検討するのに、本件で問題とされる各供託金受領証は本来これを作成する法的根拠のない建設業法関係の供託金受領証をも含めていずれも供託金の供託を証明する文書として旭川地方法務局供託官から供託者に対して発付される性質ないし体裁のものであつて、原本と別個にその写を作成すること自体が法規上ないしその性質上禁止・制限される類の文書でないことは明らかである。そして、宅地建物取引業法二五条四項は、営業保証金に関する供託済届の添付書類として、供託者において供託金受領証の写を作成しうることを前提としていると解され、供託金受領証はもともと私人の手元において自由にその写を作成しうることの予定されている性質の文書である。してみれば、本件写真コピーは原本の存在を主張立証する者が、その簡易軽便な方法として誰でも自由に作成しうるものというべく、原本の作成名義人である法務局の供託官から許容され、またはその推定的承諾がある場合に限って特定の者にのみその写を作成する権限の与えられる文書と解するのは相当でない。

以上の諸点にかんがみれば、所論のように本件写真コピーの作成名義人を原本のそれ(旭川地方法務局供託官阿部英雄作成名義)と同視するのは相当でなく、右コピーの作成権限を有する者を公務所または公務員に限定すべき根拠も発見しがたい。結局本件写真コピーは被告人が勝手に作成した内容虚偽の私文書であると解しえても刑法所定の公文書に該当するものでないことは明らかである。それゆえ、被告人の本件写真コピーの作成行使は刑法一五五条一項および一五八条一項の構成要件を充足するものでなく、公文書偽造・同行使罪を構成するものではない。」

第三 判例違反

公文書の写真コピーが公文書偽造・同行使罪の客体である公文書に該当するか否かについては、いまだ最高裁判所の判例はないが、これを積極に解して公文書性を認めたものとして次の名古屋高等裁判所の判例が存在し、原判決はこれを消極に解した点において、右高等裁判所の判例と相反する判断をしたもので、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄されるべきものと思料する。

すなわち、昭和四八年一一月二七日名古屋高等裁判所判決(昭和四八年(う)第二二九号・高刑集二六巻五号五六八頁)は、大阪府知事左藤義詮名義の他人の真正な診療エックス線技師免許証(有印公文書)の写真コピー(原本を写真撮影してほぼ原寸大に引き伸ばしたもの)を預つていた被告人が、その本籍地・氏名・生年月日欄の各記載部分を切り抜き、その空白部分に自己の本籍地・氏名・生年月日を記載した紙片をあてがい、また発行年月日欄・登録番号欄の各記載部分をマジックインキで改ざんしたうえ、これを写真撮影して引き伸ばし原本とほぼ同じ大きさの写真コピー六枚を作成し、あたかも自己宛に発行された真正な免許証の写であるかのように装つて、就職先の診療所に提出した事案につき、一審裁判所が本件免許証の写には写真撮影した者の表示あるいは写の作成者を表示するものはどこにも存在せず、作成名義人が誰であるかを判断することができないから、いわば作成名義人の表示のない文書といわなければならないとして、その文書性を否定した判決(名古屋地方裁判所昭和四八年四月五日判決・昭和四七年(わ)第二五三九号)を破棄し、公文書の写真コピーの文書性を肯定して、その作成・提出が無印公文書偽造・同行使罪に該るとして、有罪としたが、その公文書性を認めた理由を次のように説示している。

「本件免許証の写自体は、写真ではあるが、被告人がこれを自己の資格を偽るため行使する目的で作成し、一部につき現に就職の申込をする際に資格証明の資料として使用し、その通用性が認められたものであること前認定のとおりであり、従つて、これが一定の社会的機能を有することが明らかであるから、単なる写本の類ではなく、作成名義人の確定的な意識内容を記載した刑法にいわゆる文書に該るというべきである。

しかしながら本件免許証の写には、写である旨の認証文言やこれに伴う作成名義人を表示する署名押印が存しないため、作成名義人をいかに判別するかが問題であるが、(中略)本件免許証の写は、一見して明らかに被告人を名宛人とする大阪府知事左藤義詮作成名義の診療エックス線技師免許証原本の存在を推認せしめるべき文書であり、しかも写真であるから、原本の一字一画までも原形どおり正確に複写されたものとしての形式、外観を呈し、いわば写真であることの紙質等の特質を除けば、内容において原本と全く同一とみられるものであり、従つて、文書の性質として写であること自体は否定しえないが、その実質は原本に近似し、原本的性格をもつものといわなければならない。(中略)本件はもともと被告人において、大阪府知事左藤義詮が正当に作成した診療エックス線技師免許証の写として提出行使する意図の下に作成し、その一部を真正なものの如く装つて現実に使用している事実が認められるもので、かかる文書の実体、その作成された免許証写の形式・外観は、正に免許証原本の存在につき一般人をして信じて疑わしめないものと認められ、その内容は、原本作成名義人として表示された大阪府知事左藤義詮が被告人を技術免許取得者であると証明する旨の確定的意思表示の記載であるから、これらの点について洞察すれば、本件免許証の写から一般的に理解されるところの意識内容の主体、すなわち作成名義人は、大阪府知事左藤義詮であると認むべきである。」

右判決は、写真コピーを単なる写としていた従来の見解を一歩進めて、写真コピーの特質と社会的機能に着目し、極めて合理的な判断によって写真コピーの文書性を認めたものである。

ところで、本件供託金受領証の写真コピーは、いずれも右判例の免許証の写真コピーと同様に原本に不正な加工をしたうえ機械的方法で原本の形式・内容をそのまま正確に再現したものとして通用させたものであつて、その実質は、原本的性格をもち、かつ本件写真コピーの提出行使を受けた者は、いずれも認証文言の存否に関心を抱かず、本件写真コピーを法務局供託官が供託金を受領したことを証する文書と認識し、異議なく受領していたのであるから、本件写真コピーが原本に代る証明文書としての社会的機能と通用性を有していたことが認められる。のみならず、本件写真コピーは、宅地建物取引業法二四条四項によつて法的な裏付のある文書であるから、右判例掲記の免許証の写真コピーに比し、より以上の保護価値を有するものと認められる。

したがつて、原判決は、右名古屋高等裁判所の判例に従い、本件写真コピーについて、少くともその公文書性を肯認すべきであるのに、前述の理由によりこれを認めなかつた点において、右名古屋高等裁判所の判例と相反する判断をしたことに帰し、破棄を免れないものと思料する。

第四 法令違反

原判決は、前記第二に摘記したとおり、写真コピーには原本に加えられた不正加工の痕跡が転写再現されない欠陥があるので、写真コピーは、原本に代替する文書としての原本的性格ないし公信力まで有するものとは解し難いし、写真コピーは、あくまでも原本の存在を推認させ、原本を正確に複写した旨のコピー作成者の意識内容を保有する文書にすぎず、原本の作成名義人の意識内容を直接表示するものではなく、原本の存在を主張、立証するものが簡易軽便な方法として誰でも自由に作成しうるものであるから、本件写真コピーの作成名義人を原本のそれと同視することは相当でなく、結局、被告人が作成した内容虚偽の私文書と解しうるとしても、刑法所定の公文書に該当しないと判断して、有印公文書偽造・同行使罪の成立を否定したのであるが、これは明らかに刑法一五五条一項、一五八条一項の有印公文書偽造・同行使罪の解釈を誤つたものであり、その理由は、以下詳述するとおりである。

一 従来、写は、手書きによる写が通例であつたため、公信性が低く、事実証明等の手段としての文書は、専ら原本が用いられていたので、原本のみを文書偽造罪の客体として保護すれば十分であつたことから、単なる写は、刑法上あえて文書性が認められなかつたのである。

ところが、最近複写技術の飛躍的進歩、普及に伴い複写機によつて精巧な写が容易にできるようになり、現実に写真コピーが日常の社会生活において、原本と同じように証明文書として通用するに至つている。

文書を機械的方法で複写したいわゆる写真コピーの利用状況については、これまで文書の写真コピーの文書偽造が問題とされた判決の事案についてみても、

一定の資格を証明する免許証(大阪府知事作成のエックス線技師免許証(名古屋高等裁判所判決・前出積極)、厚生大臣作成の衛生検査技師免許証(東京高等裁判所昭和四九年八月一六日判決・昭和四九年(う)第九四七号消極))

行政官庁の通知書(県建築主事作成の建築確認通知書(鹿児島地方裁判所昭和四三年五月一六日判決・昭和四二年(わ)第二五四号、第二八五号積極)、市長作成の開発行為許可通知書(福岡地方裁判所昭和四九年二月一九日判決・昭和四八年(わ)第五六七号、第九六七号積極))

証明書(税務署長作成の納税証明書(東京地方裁判所昭和四八年三月三〇日判決・昭和四七年合(わ)第四〇四、四八一号積極)、公立学校長作成の卒業証明書(熊本地方裁判所昭和三八年一二月一一日判決・昭和三八年(わ)第四三一号、第四六〇号積極、福岡高等裁判所昭和三九年九月一四日判決・昭和三九年(う)第一二号消極)、警察署長作成の交通事故証明書(東京高等裁判所昭和五〇年三月二七日判決・昭和四九年(う)第一一五八号ないし第一一六二号消極))

私文書(土地売渡承諾書(東京地方裁判所昭和四七年一〇月一七日判決・判例タイムズ二八五号二四四頁))等多くの文書の写真コピーがそれ自体原本に代わるものとして実際に通用しているし、又、商業帳簿等をマイクロ写真により保存することは商法三六条に反しないとされているのである(法務省民事局長回答法曹時報二七巻一号二三七頁)。

このように複写機等による写真コピーが、現実に原本に代わるものとして社会的に通用し、原本と変らない公信性が与えられている理由は、写真コピーが、従来の手書きによる写と全く異なり、原本の筆跡・形状をあるがままに正確に再現し、見る者をして原本の存在とその意識内容を強く認識させる特質を有することから、原本によるのと同じ証明力を有するものとして作用するからにほかならない。

したがつて、文書偽造罪が、文書に対する公共的信用を保護法益とし、社会生活の安全に奉仕する文書の機能を確保しようとするものであることにかんがみれば、写真コピーについて、その社会的機能や公信力からみて、今や十分刑法的保護に価するものであるし、その必要性が存在するのであるから、文書偽造罪の客体として、文書性を認めるべきである。

二 しかるに原判決は、一般に複写機による写真コピーが原本の筆跡・形状をあるがままに正確に写し出す特質をもつているため、ある場合においては、原本の存在を証明する文書としてそれ相応の社会的機能と効用を有するものであることは否定しがたいところであるとして、写真コピーの有する社会的機能と効用を一応認めながらも、写真コピーには、原本から容易に看取できる程度の不正加工の痕跡も出来上つた写真コピーの上では転写再現されえないという欠陥があるため、原本と同視しうる証明力ないし社会的機能と効用を有するものとして、原本に代わる文書であるとまでは断定しがたいとして、写真コピーの原本的性格を否定している。

指摘のように、写真コピーには、原本自体に加えられた不正加工の方法如何によつては、その痕跡が十分に転写再現されない場合があるけれども、それは、本件のような特別な方法によつた場合に限られ、また、不正加工の痕跡が書面上容易に看取できないのは、なにも写真コピーに特有の欠陥ではなく、原本自体でも、巧妙に偽造が行われた場合には、その不正加工の痕跡を原本自体から容易に看取することは困難であり、そもそも文書は、一般に真正文書と誤信させるような偽造・変造の不正加工の可能性があるからこそ、刑法上、文書偽造・変造罪の客体として保護されているのであるから、不正加工の痕跡が転写再現されない欠陥を有することを決定的な理由として、写真コピーの原本的性格を否定するのは誤りである。

また、本件のように、原本にわざわざ不正加工をして、複写機により、虚偽の写真コピーを作成することは、極めて異例のことであり、通常は、写真コピーを必要とする者が、複写機械により原本そのままを被写体としてその写真コピーを作成し、それを原本に代わるべきものとして使用しているのが一般であり、それゆえ、写真コピー自体が社会的に通用し、原本に匹敵する公信力を与えられているのが、実態であるから、写真コピーそのものに対する公の信用を保証するための手段を刑法的な観点から考えていくべきであるのに、極めて例外的場合を想定して、偽造を看破することの困難性を根拠に写真コピーの原本的性格や文書性を否定するのは本末転倒であり、原判決の右見解には左袒できない。

なお、原判決は、宅地建物取引業法に基づく供託済届の添付資料として北海道知事に提出される供託金受領証写について、北海道では、必ず原本と照合する事務取扱要領が定められていたこと、本件事件後は実際にも照合手続が履行されていること及び他の二、三の県においても原本との照合が行われていることをあげ、これらは、写真コピーには不正加工の痕跡が容易に転写再現されない欠陥があることに由来するものであり、写真コピーが原本と同視しうるだけの証明力ないし社会的機能を有していない証左である旨説示しているが、右事務処理要領は、如何なる場合でも必ず照合すべしとまでは規定しておらず、供託金受領証の写には、手書きによる写も含まれることを慮つて、一律に原本との照合手続を定めたものと解され、現に本件発生までは、複写機による写真コピーの場合は、原本と同一のものと信用して原本との照合手続はことさら行つていなかつたことが認められ、また、原判決が判示するように写真コピーについて原本との照合を全く行つていない府県(京都府、長野・和歌山・福岡県)や、原本を持参した場合のみ照合している県(埼玉・滋賀県)もあるのであるから、右の理由から本件写真コピーについて原本と同視するだけの証明力ないし社会的機能を欠くものと即断することは誤りで、むしろ、その反対の事実を認めうるところである。

三 原判決は、次いで、およそ写真コピーは、いかに正確に原本を複写したものであつても、その紙質・色調などの外観から一見して複写機により複写した写であることが明らかであり、何人もコピーはコピーとしか認識していないのが通常であるから、たとえ写の認証文言を欠く場合でも、そこに複写したところと同じ内容の文言の記載された原本の存在を推認させ、その原本を正確に複写した旨の作成者の意識内容を保有する文書と解しうるとしても、もとより原本そのものの作成名義人の意識内容を直接表示するものではなく、原本とは全く別個独立の書面であるから原本と同視できないとして、本件写真コピーの原本的性格を否定している。

確かに従来の手書きによる写の場合、写認証文言があつても、写作成者の主観を通じて原本を再構成するものであるから原本の内容たる意思表示を直接保有伝達するものではなく、せいぜいその原本を正確に複写した旨の写作成者の意識内容を表示するものであり、原本の存在を主張する文書にすぎない。しかしながら、機械的複写方法による写真コピーは、このような従来の手書きによる写とは全く性格を異にし、被写原本の存在は勿論のこと、その内容のみならず、その形状も機械的に、かつ、原本そのままに再現する特質を有する。すなわち、写真コピーは、写作成者の主観を介することなく、機械的方法によつて直接に原本の内容たる意思表示がそのまま再現されるので、写真コピー自体によつて、原本の存在と内容の正確性が保証されるため、見る者をして、原本に接した場合と同じように原本の存在ならびにその作成名義人の意識内容を直接そのまま認識させるのが通常である。

したがつて、原判決が説示するように写真コピーは、単に原本の存在を直接証明する機能を有するにとどまるものではなく、原本の作成名義人の意識内容を直接表示し、これを直接的に保有伝達する機能を有するものであり、すぐれて原本的性格を有するものといわなければならない。だからこそ、前述のとおり、写真コピーが従来の手書きによる写と異なつて、殆ど原本に代わるものとして社会的にも通用し、信頼されているのである。

現に本件においても、本件写真コピー五通のうち二通は、被告人が宅地建物取引業者の営業保証金に関する供託済届の添付資料として、北海道上川支庁に提出し受理されたものであり、他の三通は、いずれも詐欺の犯行発覚に防ぐためその被害者に交付したものであつて、本件写真コピーの被交付者等は、いずれもこれを原本と信じ、あるいは同一内容の原本存在を信用してこれをそのまま受領したことが明らかであり、また宅地建物取引業法二五条四項は、供託官作成名義の公文書である供託金受領証の写自体に原本とは独立の文書性を認めているのであつて、本件写真コピーは、原本と同様の社会的機能と通用性を有し、原本的性格を有するものであるから、原本の作成名義人である法務局供託官の意識内容を直接表示する文書にほかならない。

しかるに原判決は、このような写真コピーの有する原本的性格や社会的機能を看過し、従来の手書きによる写と同列に論じて、写真コピーは、原本の作成名義人の意識内容を直接表示するものではないとして、その原本的性格を否定したものであつて、到底容認することはできない。

四 原判決は、更に本件供託金受領証の写真コピーは、原本と別個にその写を作成すること自体が法規上ないしその性質上禁止、制限される類の文書でないし、宅地建物取引業法二五条四項によれば、供託者において供託済届の添付書類として供託金受領証写を作成することを前提にしていると解されるから、供託金受領証は、もともと私人の手元において自由にその写を作成しうることの予定されている性質の文書である。したがつて、本件写真コピーは、原本の存在を主張立証する者がその簡易軽便な方法として誰でも自由に作成しうるものというべきであり、原本作成名義人である法務局の供託官から許容され、又はその推定的承諾がある場合に限つて特定の者のみその写を作成する権限の与えられる文書と解するのは相当でないから、本件写真コピーの作成名義人を原本の作成名義人と同視するのは相当でなく、かつ右コピーの作成権限を有する者を公務所又は公務員に限定すべき根拠もないから、結局本件写真コピーは、被告人が勝手に作成した内容虚偽の私文書であると解しうる旨説示する。

しかしながら、写真コピーは、前述のとおり、現実の写作成者の如何やその表示の有無にかかわらず、原本の内容たる意思表示を直接的に保有伝達し、かつそれ自体によつて高度の証明機能を有する点において、従来の手書きによる写と明確に区別される特質と社会的機能を有しているのであるから、写真コピーについては、写作成名義の有無にかかわらず、原本作成名義人が写真コピーの作成名義人であると解するのが相当である。

元来文書偽造罪の本質は、文書によつて表示され、伝達される意識内容の表示することにある。そして、文書偽造が作成名義の冒用であるとされるのは、文書に表示される意識内容の主体がだれであるかという点に間違いのないことが、証明手段としての社会的機能を保護するために、最も重要であり、かつ、基本的であるからにほかならない。そうだとすれば、写真コピーにおいては、現実にその写真コピーを誰が作成したかは問題とする余地がなく、原本の意識内容の表示を直接そのまま再現し、保有伝達するものであり、そのゆえにこそ原本に匹敵する高度の証明力を有するものとして社会的に通用しているものであるから、写真コピーについて、保護されるべき意識内容の主体は、まさしく原本の意識内容の主体そのものでなければならないのである。つまり文書偽造罪における「作成名義」は、単に文書上、作成者として表示されているかどうかという形式的表示だけで決定されるものではなく、右のような実質的考慮を加えて決定されなければならないものなのである。それは、あたかも代理名義冒用の文書について、代理名義を冒用した文書作成者を作成名義人とせず、実質的考慮を加味して、被代理者本人を作成名義人と解し、その有形偽造を認める通説・判例(注釈刑法(4)五七頁以下参照、大判明治四二年六月一〇日刑録一五巻七三八頁、大判昭和一七年二月二日刑集二一巻七七頁)の考え方と同様であつて、何も特異な考え方ではない。代理名義文書と写真コピーとを対比してみると、形式的に他人が作成した文書について、本人が作成名義人とされる点について両者は共通しているが、前者の場合には、代理人の意識内容を通じて間接的に本人の意思表示が保有伝達されているにとどまるのに対して、後者の場合には、人の意識を媒介としない機械的方法によつて、本人の意識内容の表示が保有伝達されるという点においてより直接的なのであるから、前者について被代理者本人を作成名義人と認めるならば、それと同程度、あるいはそれ以上の合理性をもつて、後者について、原本の作成名義人を写真コピーの作成名義人と認めるべきである。

したがつて、写真コピーは、現実の形式的な作成者が誰であるかにかかわらず、その作成名義人は、あくまでも原本の作成名義人であり、たとえ写作成者の表示がある場合でも、それは原本作成名義人を作成名義とする写真コピー文書と写作成者を作成名義とする写作成文書との複合文書ということになるにすぎない。

このように写真コピーの作成名義は、原本の作成名義人であると解する見解にたつと、真正な原本と同一内容の写真コピーを作成する限りにおいて、一般に原本の作成名義人が予想し許容している範囲内にあると解されるが、本件のように、原本に不正加工をして、原本の内容と全く異る文書が現実に存在していることを主張し証明する手段として写真コピーを作成することは到底許されず、原本の作成名義を冒用したもので、文書の偽造にあたることはいうまでもない。

してみれば、本件写真コピーの作成名義は、いずれも原本に作成名義人として表示されている旭川地方法務局供託官阿部英雄と解すべきであるのに、原判決がこれを否定し、本件写真コピーを実際に作成した被告人自身であると解するのは、あくまでも文書の作成名義を形式的に理解し、これに固執して、写真コピーの特質と社会的機能を看過した結果であつて、誤れる見解というほかはない。

五 更に、本件写真コピーにつき、具体的に考察するに、本件供託金受領証の写真コピーは、一般の写真コピーに比較し、次に述べるような特質が認められるので、文書偽造罪の本質にかんがみ一般の写真コピーより以上にこれを刑法上保護すべき実質的理由が存在するものと考える。

先ず第一の特質は、宅地建物取引業法は、同業者の無制限な営業活動により社会公共の利益を害されることのないよう免許制をとる(宅地建物取引業法三条、七九条一号)とともに、同業者の債務支払担保能力を確保するため、営業保証金の供託を義務づけ、営業保証金を供託してその旨を免許者に届出ることを事業開始の要件としているのである(同法二五条、八〇条)。このように事業開始の要件にかかる重要な営業保証金供託の事実を証明するため、法律上免許者へ提出することを義務づけられているのが本件供託金受領証の写であるという点である。すなわち、同法二五条四項は「宅地建物取引業者は、営業保証金を供託したときは、その供託物受入れの記載のある供託書の写しを添付して、その旨をその免許を受けた建設大臣又は都道府県知事に届け出なければならない。」と規定し、営業保証金の供託済届には、供託物受入れの記載のある供託書すなわち、法務局供託官作成の供託金受領証の写を添付して所管行政庁へ提出することが定められている。したがつて、同法は、有印公文書である供託金受領証の写自体に原本に代替する書面としての文書性と有用性を認めているものと解される。そのため、前述のとおり、本件写真コピーのち二通は、供託事実を証明する資料として、届書に添付して所管の北海道上川支庁に提出され、係員において右コピーを原本と同一内容のものと信頼して、そのまま受理したことが認められる。

このように供託金受領証の写は、法律により公文書たる原本に代替する文書として、その存在と機能が認められている以上、本件写真コピーが、その原本と同様に刑法上保護されるべきであることは、公文書に対する公共的信用を保護法益とする公文書偽造罪の本質からいつて極めて当然である。

したがつて、本件写真コピーは、一般の写真コピーの場合以上に法律的裏付のある文書として刑法上、公文書偽造罪の客体として保護されなければならない。

次に第二の特質は、本件写真コピーの偽造行為の態様が、原本の偽造と同視しうる実体を有しているという点である。すなわち、被告人の本件偽造行為の全過程を全体的・総合的に観察するならば、被告人は、供託金受領証用紙の所定欄に供託事項を記載し、これと正規の供託金受領証にある記名押印を組合せた上、これをコピーしたものである。これは、複数の紙片に分れコピーの素材に止まつていたものを、複写機械を利用することにより、見るものをしてあたかも真正な供託金受領証が存在し、そこに表示されたとおり当該供託金が法務局に供託されていると信ぜしめるに足る写真コピーの形状を有する文書を作出したものであり、写真コピー以前には文書は存在しないのであるから、コピー自体が原本の存在しない「写」としての形状を有する新たな原本たる文書として存在するに至つたものであり、いわゆる原本の偽造行為と同視すべき行為が行われたものと解しうるのである。

付言すれば、真正な原本が変造され、あるいは、いわゆる文書の偽造が行われて、これを写真コピーした場合には、写真コピー以前に文書の偽変造行為が完成しているのであるから、写真コピーをもつて新たな文書の偽変造行為と目すべきでないとの議論もあり得ようが、本件のように写真コピーによつて始めて文書が作出された場合には文書の偽造をもつて論ずべきであることは当然の事理というべきである。

かくて、本件コピーによつて作出された文書が、真正な旭川地方法務局供託官阿部英雄作成名義の供託金受領証が存在し、そこに表示されたとおり当該供託金が同法務局に供託されたかのように誤信させる点において、原本自体の偽造と何ら径庭はなく、その行使による実害の及ぼすところは、営業保証金の供託のない宅地建物取引業者に事業の開始をゆるしたばかりでなく、旭川地方法務局の供託金受領証の公共的信用を著しく損じ、北海道において従来宅地建物取引業法の届出書類上原本同様の証明力を認められていた供託金受領証の写真コピーの公信性を失なわしめるに至つたものである。

以上のとおり、本件写真コピーの特質にかんがみれば、本件写真コピーは、一般の写真コピーに比較し、より以上に原本的性格ないしは文書性が強く、これを刑法上、公文書偽造罪の客体として保護すべき実質的理由が認められるのである。

六 次に、本件供託金受領証写真コピーは、有印公文書と解すべきである。

本件写真コピーは、原本的性格があつて、文書性が認められること、その作成名義人は、原本に表示されている旭川地方法務局供託官阿部英雄であることについては、すでに詳論したとおりである。

ところで、供託金受領証の原本における作成名義人の表示は、旭川地方法務局供託官阿部英雄の記名印と公印の押印によつてなされているが、本件写真コピーでは、その真正な供託官の記名印及び公印の印影を複写機によつて、複写することによつて書面上作出されているので、外形的に見る限りは、写文書の内容の一部となつている。

従来の手書きの写のように、写作成者が単に作成名義人の氏名を代書し、押印部分をと表示するのとは異なり、写真コピーにおいては、その印影の形状・特徴は、朱肉等によつて直接押捺された場合と同様にそのまま表示されており、しかも、本件写真コピーが前述のように従来の手書きによる写と異なる原本的性格を有する文書であつて旭川地方法務局供託官阿部英雄の作成名義を冒用した公文書と認める以上、その印影の偽造も成立しているものと認めなくてはならない。

また、最近、行政官庁の発給する証明文書・通知文書の中には、公務員や公務所の記名・押名に当たる部分がはじめから文書に印刷されているものも少なくないから、当該文書上に直接その記名印や公印が押捺されていなければ有印・有署名性を認めないとする見解では、到底律しきれない不合理な結論になる。

したがつて、本件供託金受領証写真コピーは、いずれも有印公文書に該当すると解すべきである。

七 以上考察したところに照らし明らかなとおり、写真コピーは、人の意識を媒介とせず、機械的方法によつて原本の筆跡、形状をあるがままに写し出し、原本の作成名義人の意識内容を直接保有伝達して原本と同様な証明機能を有する点において、まさに従来の手書きによる写と、質的に異なる特質を有するのであり、現実にも写真コピーが、それ自体、原本に代替する文書として日常の社会生活において、通用し、信用されているのである。

このような実情と文書に対する公共的信用を保護し、社会生活の安全に奉仕する文書の機能を確保しようとする文書偽造罪の保護法益にかんがみれば、写真コピーは、今や、その原本とは別個に刑法上保護しなければならないのであつて、原判決のごとく文書偽造罪の成立を否定することは、健全な社会通念に著しく反するものといわなければならない。

勿論、刑罰法規の解釈は、罪刑法定主義の大原則があるので、類推解釈が許されないことはいうまでもないが、文書偽造罪の客体は、刑法上「文書」と規定されているにすぎず、前述の写真コピーの有する原本的性格とその社会的機能に着目すれば、写真コピーを右「文書」に含めて解釈することは、何ら類推解釈に該らないばかりか、近時の複写技術及び情報処理装置の発達や事務の合理化、省力化等の社会的要請によつて「文書」や「原本」という概念自体が従来の伝統的なそれとは異つてきている事実にてらせば、むしろ、原判決の見解こそ、不合理な縮少解釈というべきである。

最近、写真コピーの文書性について、刑法学者の間でも関心が高まり、東京大学藤木英雄教授(警察研究四五巻一〇号三頁)、北海道大学小暮得雄教授(判例評論一八八号一五九頁)、上智大学内田文昭教授(ジュリスト五九〇号一四九頁)、慶応大学宮沢浩一教授(判例タイムズ三二三号二二頁)等が、それぞれ判例批評の形でその所説を発表されているが、いずれも写真コピーの文書性を認める積極的見解を明らかにしており、消極説を公にしている学者は見当たらない。これらの積極説の理由付けについては、学者により差異こそあれ、いずれも現に写真コピーが取引社会や日常生活において信用され、一定の社会的機能をはたしている実態に着目し(特に藤木教授・警察研究四五巻一〇号三頁)、これを文書偽造罪の客体として刑法上保護すべきであるとする点において一致し、従来の文書即原本という文書や偽造についての概念を止揚した新しい理論づけが展開されているのである。

しかるに、原判決は、従来の形式的な文書概念に固執し、写真コピーの有する特質と社会的機能や公信性を無視して、本件写真コピーの公文書性を否定したものであつて、その誤りは明らかであり、到底容認することはできない。原判決のごとき見解に立就と、偽造した公文書の写真コピーを使用して、自己の資格を偽つて重要な職種に就いたり、他人に金銭的被害を及ぼす行為が行われても、文書偽造の関係では、これを放置することとなり、ひいては、公文書一般に対する公共的信用を失わせる結果になりかねず、しかも本件のような写真コピーの悪用によつて、原本の作成名義人と、本件写真コピーを信用した者とが蒙むる被害は、本来の文書偽造の場合に比べ、決して劣るものではないから、これを処罰することは是非とも必要であり、原判決の結論は、社会の進歩や時代感覚に逆行し、社会の要請に背馳するといつても過言ではない。

以上詳述したとおり、本件供託金受領証写真コピーは、いずれも有印公文書と解すべきであるのに、原判決が、公文書性の点において、これを消極に解したことは、刑法一五五条一項、一五八条一項の解釈を誤つたものであり、その法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

よつて刑事訴訟法第四〇五条第三号又は第四一一条第一号により原判決は破棄を免れないものと思料する

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